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浄土宗と浄土真宗

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浄土宗や浄土真宗が生まれた時代背景


浄土宗や浄土真宗が開かれた時代は、平安時代の末期から、鎌倉時代の初頭です。


当時、仏教には、国家を守護・安定させる力があるとする思想により、天皇や貴族が立派な建物と仏像を立てて祀り、仏教を保護しました。
仏教は、すべての人が本当の幸せになれる教え
から、次第に、天皇や貴族が自分たちだけの救済と現世利益をかなえる性格が強くなっていきます。


この時期は、大きないくさがたびたび起こり、災害や飢饉ききんが発生し、先の見えない混乱の時代でした。
また、寺院の僧侶も武装して権力闘争に明け暮れ、勢力拡大のため対立宗派・寺院への攻撃や朝廷への強訴などを繰り返して乱れに乱れていました。

平安時代の代表的な仏教の宗派は、天台宗と真言宗です。

最澄さいちょうが中国の唐へ渡り、修行の後、日本に戻って比叡山延暦寺を建て、806年に天台宗を興します。
空海も、遣唐使として、密教を学び、806年に高野山に真言宗を興します。


それまでの奈良時代の華厳宗や法相宗、平安時代の天台宗や真言宗などの仏教は、
世俗から離れ出家し、戒律を守り、厳しい修行をして、さとりを開いた者のみが救われるという教えでした。

一般の庶民にとっては、出家して、修行をして救われるのは、到底出来るものではありません。

しかし、本来仏教は、お釈迦様が「すべての人が本当の幸せになれる教え」として開いたもの。
主として比叡山で学んだ僧侶によって新しい宗派が作られ、次第にどんな人も救われる道として、日本の仏教にも変革の波が起こります。


法然聖人の浄土宗



浄土宗の開祖となった法然上人(1133年 〜 1212年)は、



比叡山で修行していましたが、なかなか悟りが開けず、また、堕落した仏教のあり方に異を唱え、比叡山を去りました。

法然は、43歳のとき、中国の善導大師の「一心に阿弥陀仏の名をたたえて念仏を唱えれば極楽往生できる」という専修念仏の教えに触れ、平安時代末期 の1175年 浄土宗を開宗しました。

法然の浄土宗は、専修念仏(浄土に往生するため,他の行を捨てて、ただひたすら声に出して、〈南無阿弥陀仏〉と一心に念仏だけを唱える行のみを修めること)こそが、極楽浄土への往生を約束するという教えでした。

生きているときに、阿弥陀仏のお力によって、暗い心が破られて救われ、往生とは、単に死ぬことでなく、極楽へ往って仏に生まれること

念仏を唱える行は、わかりやすくやさしい行であるということで「易行(いぎょう)」とも呼ばれました。

『阿弥陀仏のあらゆる命を必ず救うという願い=本願』を疑いなく信じる者は、阿弥陀仏に救われると説きました

「南無阿弥陀仏」の「南無」とは、心から信じて、帰依きえ=(よりどころと)して、全てをゆだねてお任せする、という意味で、「私は阿弥陀仏 を拠り所として全てを委ねます。」という事になります。


また『愚者になりて往生す』とも申され
煩悩に引きずり回され、欲や怒りを抱えて生きている私たちは、はかない愚者であり、
自分自身を振り返り、自分自身の愚かを知り、己のいたらなさを見つめることが、「愚者の自覚」と説きます。

自分自身の姿に目を背けることなく、自分自身が愚者であるという「心構え」が肝心で、慈悲の阿弥陀様を疑うことなく、心から信じ、お念佛を唱えることで、救われ成仏できると説きました。

相次ぐ戦や治安の乱れ、さらに天変地異などの異常気象で、人々の間には不安と絶望が蔓延していた時代
『厳しい修行をして、悟りを開かなければ救われない』という、当時の仏教の価値観をくつがえす、法然上人の浄土宗の「南無阿弥陀を唱えれば救われる」という判りやすい教えは、民衆の心をとらえ、広まっていきました。



親鸞聖人の浄土真宗



浄土真宗の宗祖(開祖)の親鸞聖人(1173年 – 1262年の陰暦の11月28日)

親鸞聖人 浄土真宗

親鸞聖人が生まれたのは平安時代の終わりです

親鸞は、わずか9歳のとき、出家しその後20年間、天台宗の比叡山で懸命に修行をして「さとり」を求めました。
しかし、修行に励むほど、自分自身の煩悩ばかりが見えてきて、自分自身では救うことができないと、深い悩みの中で過ごされました。
そして、比叡山での修行ではさとりに至ることができないと親鸞は、29歳のとき、比叡山を去ります。

その後、親鸞は、法然上人の弟子となり、法然のもとで6年間学びます。この”出会い”は、親鸞聖人の人生を大きく変えました。



その後、鎌倉時代の1207年、承元の法難じょうげんのほうなんと呼ばれる事件が起こります。
後鳥羽上皇に仕えていた女官が法然の弟子の安楽や住蓮が行っていた念仏会に参加し、出家してしまいました。

上皇はこれに激怒し、また他宗派からの専修念仏批判もあり、朝廷は念仏の禁止の決定。
法然上人と親鸞聖人を含む7人の弟子たちは、僧侶の身分を奪われる還俗(げんぞく)のうえ流罪という厳しい処罰が下されました。

親鸞は「もはや私は僧ではなく、かといって世俗の者でもない」と「非僧非俗」の生活を送り、肉食や結婚もいたしました。

1211年流罪が赦免された親鸞は、関東で布教活動を始め、「他力といふは如来の本願力なり」とおっしゃっておられます。

親鸞は、法然聖人から受け継いだ阿弥陀さまの教えを継承し、その考え方を発展させ、阿弥陀様を教えを信じれば、すべての人が等しく必ず救われるとして、念仏の教えを伝えていかれました。


親鸞は、煩悩にまみれた私たちは、自分の力では救われることは出来ず、『阿弥陀仏のあらゆる命を必ず救うという願い=本願』の阿弥陀如来様の力(はたらき=他力によってのみ救われるいう他力本願 を説きました。
親鸞の他力とは、他人まかせという意味でなく、阿弥陀様の力=はたらき という意味です。

そして、阿弥陀如来様の教えを疑うことなく信じ、(自力を捨てて)、阿弥陀様にすがり、阿弥陀仏への感謝の気持ちとして「南無阿弥陀仏」と唱えれば、阿弥陀様の力(他力)によって必ず極楽浄土に行くことが約束される(往生即身仏の教えです。

「念仏を唱えるだけで誰もが必ず仏に救われる」という親鸞聖人のシンプルな教えは次第に人々に受け入れられ、広まっていきます。



浄土宗と浄土真宗の違いは?



(西山派と浄土宗鎮西派
そして、親鸞上人の浄土真宗)


浄土宗は、法然商人の死後、法然上人の教えの解釈の違いから、分裂や統合を繰り返しました。




弟子の弁長上人の流れを汲む浄土宗西山
せいざん


弟子の弁長上人の流れを汲む鎮西ちんぜい派を中心にまとなった現在の宗教法人の浄土宗(総本山は京都・知恩院)

そして浄土宗から分派し、のちに親鸞上人の浄土真宗と大きく3つの浄土系に分かれます。


親鸞聖人は当初、自身の宗派を浄土真宗とは名乗らず、親鸞の没後、弟子により、浄土への往生の真の教え  と言う意味で、浄土真宗と宗派の名称がつけられました

浄土真宗も、浄土真宗本願寺派、真宗大谷派などに現在では分かれています。



(他力と自力、他力、絶対他力の違い)

法然も親鸞や他の弟子も、善人はもちろん悪人もみな等しく、阿弥陀仏の本願(阿弥陀仏の慈悲の力)という他力により救われるとした点は共通ですが、


1.「自力では往生できず、念仏こそが皆が極楽往生できる唯一の方法として、他力(=阿弥陀の力)によって往生できる」という考えの西山派。

2.「阿弥陀仏による他力だけではなく、自分の善い行いの自力によっても、極楽往生ができるという教えの鎮西派の流れを組む、現在の宗教法人浄土宗。

「自力」というのは、自らの力によって仏に成ることを目指すことです。


極楽往生の手段になるならない関係なしに、善行はするべきですが、違いは、「自力による善行での往生が出来るか否」です。

しかし、いずれの浄土宗では、専修念仏(ただひたすら念仏を唱えることによる)による自力の要素が残っています。


浄土真宗ではさらに発展させて「阿弥陀如来」の力に任せる絶対他力の立場をとります。
念仏を唱えるのは、自力による救いのためでに行うぎょうではなく阿弥陀仏への感謝の気持ちとして唱え、すべてを阿弥陀仏にゆだね、救いはすべて阿弥陀仏の力のみによるという絶対他力を説きました。

浄土宗が、念仏を唱えるにより、極楽往生ができるとといたの対して、
浄土真宗では、成仏のために念仏を唱えた回数や自ら念仏を唱えることは重要でなく、自力の考えを捨て、阿弥陀仏の救い(他力)を疑いなく信じるだけで、信仰が深まり
必ず極楽浄土に行くことが約束される」と教えを説いている点が、浄土宗と大きく違います。

親鸞聖人が師である法然上人から直接聞いた言葉で『愚者になりて往生す』があります。


(追善供養をする、しない)

日常のお勤めでの大きな違いは追善供養をする、しない の違いだと思います。

浄土宗では、お位牌に故人の魂が宿るとして、お位牌を用いた追善供養をします。

また、法事やお盆の時に、卒塔婆そとばと呼ばれる細長い木の板を用意して供養します。
昔、釈迦の遺骨を納めた塔が五重塔で、卒塔婆はこれが起源です。
昔の人は、寺院に五重塔を寄進して、その徳が自分や故人にも回向されると考えました。
五重塔は高価ですが、代わりに木の板で出来た卒塔婆を用意して故人の冥福を祈る追善供養を行います。

追善供養とは、故人のために善を積むことで、故人へとこう(分け与えて)して、故人がより良い世界に生まれ変わり成仏できることを願うとともに、その善行が自分自身にも返ってくると考えです。


浄土真宗では、阿弥陀仏の導きですぐに仏になる(往生即身)という考えから、私達が供養しなくとも、亡くなった人は、必ず、極楽浄土で、往生するとの考えで、追善供養をいたしません。

浄土真宗では、煩悩まみれの私たちや僧侶が、追善供養をしても救うことは出来なく、故人を救うのは阿弥陀様の力のみであると説いているためです。

また、浄土真宗では、供養のために位牌を用いません。代わりに過去帳を 用います。
法名、命日、俗名、享年を記載しますが、
あくまでも記録書きであり、供養の対象ではありません。

浄土真宗では、お位牌でなく過去帳を用いる理由について

(盂蘭盆会うらぼんえ 、お盆に対する考え方の違い)

大半の宗派や浄土宗では、お盆には、先祖の霊が帰ってくるとして、ご先祖様の霊を供養する儀式とされ、お盆には迎え火として盆提灯を飾り、精霊棚を作り、お供えをしたりして、追善供養(ついぜんくよう)をして先祖供養をします。

また、お盆に合わせて、施餓鬼檀をつくり、三界万霊牌を安置し、五色の紙幡を立て、飲食や水などを供えます。
供養する人がいない無縁の仏様に対しても飲食を施して供養し、まさに生きとし生きるものすべての生命を供養します。

これらは、善行(善い行い)とされ、良い功徳となって供養した人にも回向される(巡り回ってくる)とされています


一方、浄土真宗では、往生即身の考えから、亡くなられた方の霊が、極楽浄土に行けず、うかばれずにこの世に彷徨ったりするという概念がありません。まして、ご先祖がお盆や特定の時期だけ帰ってこられるという非現実的な概念もありません。そのため盆提灯などは飾りません。

浄土真宗の門徒にとって、お盆やご法事は、供養でなく、先に往かれた方々を偲び感謝し、
そのご縁で住職を通じて、阿弥陀様や親鸞聖人のありがたい教えを聞き、自分自身を改めて見つめ直す大切な仏事です。
お経は、亡くなった方を供養するためでなく、こうして生きている私達の生きる指針としてのお経です。

浄土真宗の門徒 は、本当に物知らず なのでしょうか?



(般若心経)

浄土宗では「般若心経はんにゃしんぎょう」を唱えたり写経したりしますが、般若心経は自力で煩悩や執着心を捨て、悟りの境地に至る方法を説いていて、これも自力の要素です。

浄土真宗では、般若心経は唱えません。













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